コラム:高円寺にまつわるエトセトラ Vol.1 ~フジファブリック~

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新しいコラムです。このコラムでは筆者である山﨑あすみが、高円寺にまつわる様々なことについて、特に大好きな音楽を交えつつ綴っていくものです。時々お付き合いいただければ幸いです。

3人組ロックバンド「フジファブリック」が2009年に行ったライブ映像が、10年経った今年7月にリリースされることが決定した。

10年越し。

この10年には大きな意味がある。前ボーカルギターの志村正彦という男が亡くなってから10年が経つのだ。

わたしがフジファブリックを知ったのは中学1年生の夏で、ラジオから「銀河」が流れてきた時「なんだこの曲は?っていうか、なんだこのバンドは?天才か!?」と、一瞬にして心を奪われたのを覚えている。

すぐにかかっていた曲を調べ、フジファブリックというバンドの「銀河」という曲だということを突き止め、近くのレンタルCDショップに並んでいたフジファブリックのCDを全て借り、それ以来今日までずっと聴いてきた。大学に入学するまで地方に住んでいたため、「大学生になったら絶対に東京へ行って、フジファブリックのライブにいくんだ」と考えていたが、2009年の12月24日、彼は突然帰らぬ人となってしまった。

彼は18歳で山梨から上京してから8年間、この高円寺の街で暮らしていた。東高円寺にある音楽スタジオ「ロサンゼルスクラブ」でアルバイトをしながら、現実を目の当たりにし、焦り、悩み、新しい音楽を作っていた。

とあるインタビューの中で、『高円寺は東京での原点中の原点』と語っている。フジファブリックの代表作「茜色の夕日」のCDのジャケットに高円寺陸橋の写真が使われているのは、きっと上京した頃の初期衝動や原点を忘れないため、そして彼自身が愛した街の風景をいつまでも心に留めておくためだったのかなぁ、と今になって思う。

彼が高円寺に住んでいた時代、駅前のロータリーで一度だけ弾き語りをしたことがあるらしい。ひとりでやるのが恥ずかしくてお金が入る前に帰ってしまった...というが、彼の弾くアコースティック・ギターの音は、この中通り商店街まで響いていたかもしれない。

<テキスト:山﨑あすみ